今回は、「こえまっぷ」サイトでのお茶の水女子大学・宮里暁美先生による連載「子どもの声が育つとき」についてご報告いたします。
日々の暮らしの中にある何気ない場面を通して、子どもたちのまだ言葉にならない思いや「声の芽」がどのように育まれていくのかを見つめる連載です。
第1回「聴きたくなる」では、子どもの声は教え込まれるものではなく、安心できる関係やまなざしの中で育つものであることが語られています。大人に求められるのは、うまく聞き出すことではなく、立ち止まって「聴く人」でいることです。
本コラムは、「声になる前」の時間に目を向けながら、子どもの声に寄り添う姿勢や、地域の中で子どもの権利を支えるヒントを考えていく内容です。「こえまっぷ」がめざす、子どもたちが安心して声を届けられる社会づくりにつながる連載です。
このコラムは、読むというより、思い出す体験に近いのかもしれません。
子どものころの感覚。誰かに、ちゃんと聴いてもらえた記憶。
あるいは、聴ききれなかった、あの瞬間。
宮里暁美先生のコラム連載「子どもの声が育つとき」が始まりました。
第1回のタイトルは、「聴きたくなる」。
何かを伝える前に誰かの声に耳を澄ませる。
子どもの言葉は、その小さな姿勢から少しずつ育っていきます。
リレーのバトンを持ったときの気持ち。
帰り道にふと交わした会話。
どれもとても小さな声かもしれません。
その声が、きちんと受け止められること。
「話していいんだ」と思える気持ちがその子の中に少しずつ残っていくのかもしれません。
私たち大人にできることは、うまく聞き出すことでも、言い換えることでもなく、
ただ、少し立ち止まって「聴く人」でいることなのかもしれません。
「どうして?」ではなく、「どう思う?」。
その違いの中に、子どもの声が育つ余白があるように思います。
「こえまっぷ」は、子どもたちが安心して声を届けられる社会をめざす取り組みです。
このコラムは、その一歩手前、「声になる前」の時間を思い出させてくれます。
子育てを終えた私は、ふと振り返ってしまいます。
ちゃんと聴けていただろうか。
そのままでいられる時間を持たせてあげられていただろうか。
聴くこと。
待つこと。
この連載が「少しだけ聴いてみようかな」と思う瞬間を静かに増やしていくことを願っています。
これから、ゆっくり一緒に聴いていけたらと思います。
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